前々回からの続き記事です。

【コロナウイルスとの共存|COVID-19とは】

自然案内人・水野由佳が語る

「COVID-19を怖がらなくていい理由」①はこちら

「COVID-19を怖がらなくていい理由」②はこちら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目次

0-1 「自然案内人」、水野由佳というひと

0-2 株式会社 纒(まとい)のこと

 

1、COVID-19を怖がらなくていい理由 その①

「自然界は人間が到底知り得ないほど大きな世界だ」

 

3、COVID-19を怖がらなくていい理由  その②

ヒトの暮らしが本来のカタチにシフトしていくきっかけとなる」はこちらのリンクより☟

 

【コロナウイルスとの共存|COVID-19とは】自然案内人・水野由佳が語る「COVID-19を怖がらなくていい理由」②

 

 

今回はここ☟

4、COVID-19を怖がらなくていい理由 その③

「現代に生まれた私たちは、全体(マクロ)ではなく一部(ミクロ)でとらえる教育を受けてきている」

 

5、COVID-19を怖がらなくていい理由  結び その④

「人間が本来持つ『観えないものを信じるチカラ』を呼び覚ませば安心につながる」

 


 

「現代に生まれた私たちは、全体(マクロ)ではなく一部(ミクロ)でとらえる教育を受けてきている」

 

ーーこれまでのインタビューで、とても好奇心が湧きたつような観かたを話していただきました。

そこで、どうしても気になってきたのは、水野さんが「自然」というものについてそこまで心動かしヲタクになっていったのかということなのですが。。。

それには何かきっかけがあったんでしょうか?

 

水野)

大病したり薬漬けになったりなど、大きなキッカケがあった訳ではなく、自然を身近に感じられた家庭環境の影響は大きいと思います。

 

ただ、小さい頃から自然界に興味があって、NHKの人体の不思議など、夢中でみていましたね。

こどものときって誰しも、自分に関わることを知りたいという欲求が本能的にあるのだと思います。

 

ちょっと話はそれますが、実は宇宙には、太陽系のような惑星の集団があと20憶個くらいあるらしいのです。けれど令和になった今も、月に行けるか行けないかを話している人間!

人間が知っていることってたいしたことないやんって思うんですよね(笑)

 

 

ーーおぉ、それは、ゆか少女が目をキラキラさせながら自然や生き物のことを調べているようすが目に浮かぶようです。

学校に行かなくてよかった、とチラッとおっしゃいましたが、今の教育についてはどうとらえてらっしゃいますか?

 

水野)

マクロ(全体)を知ることでミクロ(一部)への理解が深まると思っています。

 

現在の学校の勉強はミクロ単位からスタートすることが多く、全体に想いをはせることが少ない。

全体を把握できないまま進んでいきます。

 

例えば、地理を学ぶ時は

『自分が住んでいる町』からではなく『銀河系』から

 

歴史も『日本』からではなく『地球、人類のはじまり』『世界の歴史』

から学ぶってどうですか?

 

すごく小さいところ、一部分だけを抜粋して伝えられたら、灯りを持たず暗闇を歩き続けているようで、不安がつきまとう。

何かおこるたびに、怯えながら、目の前のことだけに右往左往して、とらわれます。

 

一度全体を照らすことは、個々それぞれの存在やしくみが全体としてどう相互作用しているのかを知ることなので、同じ暗闇で何かおこっても、目の前のことだけにとらわれず、つながりや未来を感じ、安心してすごせます。

 

当時の自分の気持ちは明確に思い出せなくて、自覚はなかったですが、不安だったのだと思います。どうしても全体を知りたい欲求がやまない(笑)

 

自然について知れば知るほど、ヒトは、はてしなく広がる宇宙・自然の一部でしかないと感じ、全体をそのまま理解することで、大きな安心感に包まれていきました。

 

 

 

ーーああ~~~~~、それは深く共感します!

マクロからの授業って、ほんとうに楽しそう!!名案!!

小学校1年生で、銀河系や人類誕生ぐらいからやってもらうと、必然的に授業の内容としては「宇宙について知ろう」「星をみてみよう」とか「野原に出かけて風を感じてみよう」みたいになりますもんね!

 

物事を一部だけでとらえることを教わると、価値観が広がりづらくって、「こうでないといけない!」と制限されるというのは、現代の日本の教育の苦しさだなと思います。

対立になっちゃうというか。。。

 

水野)

そうですね。

対立がおきている時って、全体のそのままを観ていない、感じていないのだと思います。

 

何かの一部分だけ、最終的に起こったことだけを抜粋すると、経緯や背景、気持ちに触れることもないから、満たされることがない。

 

『叩いた・殴った・傷つけた』など、最終的に目の前で起こったことにだけに注目して、悪モノを探す。

 

自分と向き合う機会を逃し、ごまかしているので、対処療法のようなやり方を繰り返しがちになり、これでは子どもたちも不安や心配がやみません。

 

 

ーーそういった思考や関わりのパターンを繰り返していると、今まさに、このコロナウイルスという事象も一部分だけでとらえることになる。

「人間を脅かすコロナは悪で敵だ」というような善悪の考え方になるのは必然というのも、腑に落ちてきます。

 


≪結び≫「人間が本来持つ『観えないものを信じるチカラ』を呼び覚ませば安心につながる」

 

水野)

生命誕生から共存している微生物。ウィルスも数億年前から存在していると言われています。

 

微生物の種類は100兆以上。

生存数は地球上で最も多く、天文学的数字になり、目にみえないのですから数えることはできません。

 

口の中だけでも500種類くらいの微生物がいて、消化、呼吸、侵入者の感知など、からだを守る役割を丁寧に懸命にはたしているんですよね。

 

余談ですが、歯磨き粉やマウスウォッシュなどを常用していると、からだに必要な菌が流され、不要な菌が残る可能性が高くなるので、体調不良、口のにおいが気になる、病気にかかりやすい、消化不良などが起こりやすくなります。

 

 

ーーえ!歯磨き粉も? 現代の除菌殺菌の風潮が標準になっていたので、これはまた驚きです。

 

水野)

顕微鏡の性能が上がらないことには、人間は微生物を確認できない訳ですが。

自覚の有無に関係なくヒトは、一生を通して、平均200〜300回は様々なウィルスとすごしていると言われています。けれどそれもあくまで憶測にすぎない。

 

私個人の見解としては、毎日、多種多様なウィルス、細菌が出入りしながら、くらしていると感じています。

 

 

例えば、ヘルペス、帯状疱疹、イボなどは一生、共存します。

症状が面倒なので、根絶したくなり薬を使ったとしても、対処療法にしかならず、またどこかですぐに感染するので、素直に共存を選択するほうが、はるかにラクです。

 

精神的・身体的に不安、ストレスなどを感じ、抵抗力が落ちたときに活性化するので、からだの声としてのバロメーター的役割を果たしている、

という観方もあり、助けになる、心強いウィルスです。

 

 

ーー共存、とはそういうこともあるのですね。

ウイルスや細菌が体内に入ってきたら薬でたたく、という以外の方法があるなんて信じがたい人も多いだろうけれど、これまで水野さんの話を聴いてきた私は、もう既に新しいやり方を試してみたくなってきてます笑。

 

 

水野)

ヒトは、99%何かしらのウィルスを内包していると言われています。

残りの1%は、なんだろう?

みえない世界なので、100%言い切ることができないだけ。

ウィルス含め、微生物がいないと生きていけない私たちは、共存していることが、生物が誕生した時から標準なんですよね。

 

これから出逢うであろう多種多様な未知なるウィルスも、知らないうちにからだを出入りしているウィルスも、特別ではなく日常です。

 

コロナウィルスも同じように、何ら、特別ではなく、随分前から共存していたのだと思っています。

 

 

ーーそうでしたか。コロナウイルスは突然私たちの前に現れたんじゃなくて、観えていなかっただけ、ということですね。

コロナウイルスも含めて、大きな自然の中では、私たち人間には到底知り得ないことがあるということですね。

 

水野)

前々回で『秩序』にふれましたが、私たち人間が、現代社会で暮らしながら想像する『秩序』と、自然界の『秩序』には、だいぶギャップがあり、全くちがう概念になっていると感じます。

 

森や林をみてみると、多種多様な植物が混在し、成長過程も様々で、ツルをのばし、賑やかに気持ちよく存在しています。

 

人間が管理、操作している場は、同じような木や植物が、等間隔に配置されて規則正しく、整理整頓されています。

 

私たちヒトの大人は、「順番に規則正しく」が『秩序』だと認識している場合が多く、種類、かたち、形状、環境、時間など様々な要素で分別しています。

 

同じ野菜が等間隔で植わっている畑は、生産性など、ヒトと共存するために考えられた方法。

自然界には、同じものが等間隔には基本的に存在しません。

 

ヒトから観たら、混在していて規則性がないと『混沌』としているように感じますが、

自然界では『混沌』こそが『秩序』。

 

自然の一部であるヒトも同じで、

障害の有無、個性、老若男女

生物学的な性別と社会・文化で作られる性別

人種、国籍、宗教、学力・‥‥

 

カテゴリーでわけて集合すれば、

管理、操作がやりやすく感じ、効率的に感じますが、不自然な状態なので、結果的に疲弊し、統制するためにますます窮屈になっていきます。

 

 

自然の一部であるヒトとして自然の秩序やしくみを知り、生活に取り入れていくだけで、選択肢が増え、安心してすごす環境がひろがっていきます。

 

 

混沌とした秩序がある自然界は、美しく気持ちがいい。

 

誰しもが忘れているだけで、本能ではしっかり感じていて、欲求も湧き上がる。

水が美味しい

風が気持ちいい

月がきれい

太陽があたたかい

 

からだの感覚が鈍感になると、気持ちを感じるチカラも鈍っていきます。

 

一部だけを教わる教育を受けている私たちは、なかなか全体が観えなくて、目の前でおこっていることだけに注目して、同じ不安を抱え続けています。

 

微生物も気持ちも目にみえず、数値であらわせないので、怖くてたまらなくなりますが、ヒトが本来、生まれ持っている

『観えないものを感じるチカラ』

を呼び覚ますことが、安心につながる、何よりの近道ではないかと感じています。

 

 

2020年4月吉日

インタビュイー:(株)纒 代表取締役 水野由佳氏

聴き手:辻千恵

 

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3回に分けてお届けしてきた水野由佳さんのインタビュー記事。

これにて完結です。

 

 

最後のたたみ掛けるくだりで、水野さんの溢れる想いを受け取って、グッときたのは私だけだろうか?

 

私は、「今の現代社会で標準とされていることが もしもひっくり返ったら?」ということを、時折妄想することがあるのだが、今回彼女から聴いた言葉たちは、何か妙にしっくりストンと腹に落ちてくることがたくさんあった。

 

「よくぞ言ってくれた!」「そういうこと!」といった感じで、まるで自分の身体の中の細胞たちが興奮しているような、そんな感覚。

 

水野さんのいう「混沌とした秩序」という世界を、その環境を創るのが、私たち未来区の役割ではないのかと感じた。

必要な「秩序」がもしもあるのだとしたら それはきっと、私たちひとりひとりの心だ。

 

そしてひとりひとりが自分の心に触れ大切にすればするほど、周りの人の心も大切にされ、図らずもそこに「秩序ある、安心して過ごす環境」が育つのだろう。