新年早々、こんなブログを書いていた。

 

「通知表」から憤り、勢いにまかせて記した令和2年1月3日の教育観。

「障害」があるからと狭められるのはイヤだ、その「障害」っていうのも誰が決めたのか?

 

 

だが今日、前々から言われて納得していたことではあったが、自分ではっきりと腑に落ちたことがある。

 

わたしがインクルーシブを求めるのは、自分自身がとても差別的な人間だからだ。

 

わたしが枠のない社会を願うのは、自分自身がカテゴライズしたりされたりすることでとても安心する人間だから。

 

わたしがお金にまつわる仕事に気が進まないのは、自分自身が眼に観えるものにとても囚われるからだ。

 

 

今日はこのことにたどり着き、腑に落ちて自分でとてもスッキリしている。

 


 

(photo by ヒロキヤマダ)

 

やれ未来区だ社会課題を楽しく解決するんだ、誰かが自分を生かす機会や場をつくるんだなどと日々言うている。

それにはなんにも嘘はない。

心の底、腹の底からそう想い続けている。

 

 

でも、どんな気持ちもあっていい、どんな個性や条件も生かし合おう、とか言いながら(まあ数年前に比べたらこれでもだーいぶひろがったけどさ)、新年早々「自分にまだまだこんなに枠があったかぁー」とまた気づいてしまい、恥ずかしいやら清々しいやら。

 

 

なによりいちばんインクルーシブでないのは、

「自分に枠があることをわたし自身が醜い恥ずかしい情けない汚いと感じている」ことだ。

 

 

ちゃんちゃらおかしい話だけれど、こう気づいた今このすっきりした感覚だということは、たぶん事実だ!笑

 

あ~、もう~、自分を知るって果てしなくって苦しい。

もうしんどい。

が、腑に落ちると清らかで気持ちもいい。

 

「わたし自分のこと醜いと感じてるんだな」とはっきりわかったら清らかで心地がいい、だなんて不思議な話だ。

 

まあでも、だから人間は面白いのかもしれない。

だからメッセージソングもラブソングもなくならないんだろうな。

 

さて、今日腑に落ちたひとつひとつも向き合っていきます。

おっかなびっくり。

 

 

さあ、未来区では

明日から2020年のコミュニティスペース囲炉裏がスタートします。

あなたにとってちょうどいい、心地がいい、ってどんなことだろうか?

未来区役所 直方出張所 囲炉裏でたくさん人に会ってたどりついてね。

 

お待ちしてます。